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HISTORY AND CULTURE OF NEW MEXICO

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本物のアメリカンプロダクツ・スタイル・ファッション・ヒストリー・カルチャーをお伝えする事。
それこそが、私たちUSONIAN GOODS STOREの使命です。

今回は”HISTORY AND CULTURE OF NEW MEXICO ” と題しまして、
ニューメキシコの歴史・文化・現地の雰囲気(リアルな)等に焦点をあてます。

昨日のブログで告知していますが、来週よりスタートするイベント”USONIAN WESTERN STORE”でご協力いただくBEAR TRACK代表 小林氏に伺ったお話しを元に掘り下げていきます。

プロフィール
小林正茂氏
61年新潟県上越市出身。
進学で上京後、アルバイトで働き始めたベイリーストックマン青山店が、業界に入ったきっかけ。その後インポートブランドの靴の輸入・卸売業へ転職。
在職中、有給休暇を使い初海外旅行で憧れのニューメキシコ州へ。
その後、地元新潟に戻りベアトラックをスタートする。

まずは前回ご協力いただいた際のインタビューをムービーでどうぞ!

舞台のニューメキシコとはどんな町なのか。
イメージはでプリミティブな面影が強く残っている事を想像してしまいますが、現地はどうなのでしょうか。
通算で90回以上現地に足を運ばれているご本人から伺ったお話しはどれも貴重なものばかりでした。
ご本人が撮影された写真と共にお話しさせて頂きます。

中心地のサンタフェは近代的な雰囲気で、
市街地には景観条例もある為、高層の建築物NG、外壁はアドビと呼ばれる土壁風にしなければならない等といった所から、観光産業が盛んな街で多くの方が訪れる歴史的に希少な建物や風景が多く存在しているようです。
伝統が守られ続けている場所と発展を遂げている場所があるという事。

※アドービとは
アドービとは、砂、砂質粘土とわらまたは他の有機素材で構成された天然建材。
これらの有機素材を木製の型枠を使って日なたで干すことでレンガの形にして使われ、ヨーロッパのコブ(Cob)や日干しレンガによく似ている。
アドービの構築物は非常に耐久性に富み、地球上に現存している最古の建築物によく使われている。
アドービ建築物は熱を吸収してから非常にゆっくりと放出するため、建築物の内部は涼しいままに保たれ、暑くて乾いた気候に適している。

SANTA FE DEPOT

サンタフェ・デポ(Santa Fe Depo サンタフェ駅)は、
元々はアチソン・トペカ・サンタフェ(Atchison, Topeka and Santa Fe)の駅舎として建造され、
数年前まではサンタフェ・サザン・レイルウェイ(Santa Fe Southern Railway)の北端の駅として利用されていました。

現在は、サンタフェと州一番の経済都市アルバカーキ(人口100万人)を結ぶ
通勤電車 New Mexico Rail Runner Express が往復しています。

New Mexico Rail Runner Express

数年前に老朽化した駅舎の建て替えが決まりましたが、新型コロナウィルス禍に
あって、プロジェクトは延期されているようです。(2022年夏現在)

 

SANTA FE RAILYARD

サンタフェ・ディーポ(サンタフェ駅)を中心とした、飲食店、ギャラリー、映画館、小売店、パフォーマンススタジオ等が点在している再開発エリアです。ファーマーズマーケット(朝市)が定期的に立ち、新鮮な地元産の野菜やフルーツ等を買い求める観光客や地域住民で賑わいます。
SANTA FE RAILYARDと記された木造の建造物は、かつての蒸気機関車用の給水塔のレプリカで、このエリアのランドマークとなりました。
 

Nuestra Senora de Guadalupe

サンタフェ・レイルヤード地区のはずれにあるカソリックの教会です。
グアダルーペ(Guadalupe)の聖母を祀った教会としては、現在の米国の中で
最も古い教会といわれています。全身から後光が光る聖母像は独特です。

正式名ヌエストラ・セニョーラ・デ・グアダルーペ(Nuestra Senora de Guadallupe)
別名アワ・レディー・オブ・グアダルーペ(Our Lady of Guadalupe)は、アメリカ大陸諸国の守護神であり、病や全ての災難や戦争から守ってくれる存在だといわれています。

 

SANTA FE PLAZA

ニューメキシコ州の州都サンタフェの中心にある広場とその周辺市街地(商店街)の事。

スペイン系移民が入植した際の旧総督府跡、何軒かの州立博物館、ホテルや
飲食店、観光客向けの土産物店やブティック、ギャラリー等が軒を連ねています。

Ganscraftのかつての店舗、有名なホテル La Fondaはまさにこのプラザ(広場)に面しており、セントフランシス大聖堂やロレットチャペル等も数ブロックの徒歩圏内にあります。

La Fonda

冒頭にも少し触れましたが、サンタフェ市の景観条例により、高層ビルを建設する事は出来ません。
歴史的な建造物も多々あります。

世界的に有名なイベントであるサンタフェ・インディアンマーケット、
サンタフェ・スパニッシュマーケットは、このプラザで開催されます。

 

Red Chili Ristra

伝統的な建物のフェンス、パティオ、ポータルにぶら下がっているチリのひもがあります。
唐辛子の鞘を後で消費するために乾燥させるアレンジメント。
秋には、ファーマーズ マーケットや道端の屋台で購入できます。
リストラは装飾品として使われることもあり、健康と幸運をもたらすと言われています。

GOVERNOR’S PLACE

サンタフェプラザ内にあるアメリカ国旗とニューメキシコ州旗が目に飛び込んでくるこの場所は
1610年に完成した総督邸。アメリカ合衆国によって占有される最古の公的建築物と言われている。
サンタフェ知事官邸として使用されていたが、1909年から州立博物館になっている。

総督邸の屋根の下では、プエブロ族が手作業で作ったアクセサリーや置物、雑貨などを売るマーケットが毎日開催され、
ターコイズを使ったネイティブアメリカンジュエリーや民芸品などが並び、作家とコミュニケーションを取りながら買い物する事ができるようです。

ネイティブアメリカンジュエリー(インディアンジュエリー)とは

諸説がありますが、400年以上前にスペイン系の移民による南西部への入植という説があります。入植者たちは、鉄製の馬具や、生活用品を製造する為に、先住民であるネイティブアメリカンに金属加工技術を教えました。その技術をアクセサリー作りに応用し発展させてものがインディアンジュエリーの起源です。

Navajo Indian

このような歴史を辿ってきたジュエリーはどのような人たちによって作られているのでしょうか。

大きく分けると、プロとしてジュエリー製作に専念している人。
本業(農業や牧畜)とは別で兼業で製作している人に分かれてきます。後者は、農繁期は農業を、農閑期にジュエリー製作といった感じです。
例えばズニ族の場合、ファイヤーファイター(消防士)との兼業が多いとの事。空気の乾燥による大規模な山火事が多い地帯の為、火事が起きた時は全米中へ出動するそうです。そのため山火事が多い年は、ズニ族のジュエリーの流通量が減ってしまいます。また、ズニ族は純血が少ない事も理由の1つだとか。

私自身、ジュエリーが好きで様々な店をみますがズニ族の作品は他部族に比べて数が少ない事を疑問に思っていたのですが、こういった状況が原因だったとは納得でした。不思議に感じていたことが、リアルな情報で解決されるのは気持ちが良いものです。

血筋の話を出しましたが、現在活躍しているアーティストの大半が親から子へ伝承の元になりたっている文化である為、先祖代々というケースが多いです。
子供は、両親や祖父母が家でジュエリーを作っている姿や、家の身近なところに道具や材料がある環境で育つ為、自然な流れでジュエリー製作への世界に進むようです。

ネイティブアメリカンジュエリー(インディアンジュエリー)はどのようにしてファッションに取り入れられるようになったのでしょうか。

1980年代中頃、Santa Fe Styleのブームがあり、New Yorkにある”ZONA“という家具・インテリアショップが発祥。
当時のブルックスブラザーズ青山店の向かいに、お店がありました。
インテリアブームが先行して後にファッションブームを作った珍しいケースです。

SANTA FE STYLE

Zona’s Greene Street Location, ca. 1984

もう一つは80年代後半〜90年代初めに、 ラルフローレンのカントリーコレクション(1989~1993)の発表が大きな影響で大ブームを起こしました。

因みに、ラルフローレン夫婦もサンタフェに良く通っていたようです。
常宿はINN and SPA at LORETTO SANTA FE

INN and SPA at LORETTO SANTA FE

そしてプラザ周辺には、徒歩圏内に美術館もあるので文化を肌で感じる事ができます。

GEORGIA O’KEEFE MUSEUM

ジョージア・オキーフ美術館は、ジョージア・オキーフの芸術的遺産、彼女の人生、アメリカン・モダニズム、そして一般の人々の関わりをテーマにしています。

GEORGIA O’KEEFE(1887/11/15-1986/3/6)

オキーフは1929年までニューヨークで暮らしたが、1年の大半を南西部で過ごすようになり、ニューメキシコの風景や動物の頭蓋骨を描いた《牛の頭蓋骨》などの絵画のインスピレーションとなった。「牛の頭骨:赤、白、青」や「羊の頭 白ヒイラギと小さな丘」など、ニューメキシコの風景や動物の頭蓋骨をモチーフにした作品を描いています。
晩年までニューメキシコ州アビキウの「ジョージア・オキーフ・ホーム・アンド・スタジオ」で暮らし、サンタフェに住んでいたそうです。
オキーフの死後、サンタフェにジョージア・オキーフ美術館が創設されました。

Cow’s Skull: Red, White, and Blue(GEORGIA O’KEEFE)

El Santuario de Chimayo

サンタフェから北東に位置する織物で有名なチマヨ地方。
そこにある、奇跡の”聖なる砂(Holy Dirt)で有名なサントワリオ・デ・チマヨ教会。この奇跡の砂をかけると病気や怪我が治ると伝えられ、巡礼者が絶えません。
「タオスへの道」と呼ばれる76号線沿いにありますが、この沿線には古いスペイン風の村々やジョージア・オキーフの好んだ風光明媚な景色が続きます。

El Santuario de Chimayoから北に50マイルほど進むとあるのが、タオスプエブロ。

Taos Pueblo

プエブロ・デ・タオス(Pueblo de Taos)またはタオス・プエブロ
(Taos Pueblo)は、ニューメキシコ州北部8プエブロ
(The Eight Northern Pueblos)に属する集落のひとつ。

ニューメキシコ州の州都サンタフェから、フリーウェイで約1時間半ほど
北に位置する町、タオスの郊外に位置し、風光明媚な地域です。

西暦1000年以降に建築された、2階建て或いは3階建てのアドービ煉瓦
造りの集合住宅(団地)が有名で、世界遺産にも認定されています。

現在、アメリカ南西部のアドービ「風」建造物は、コンクリート壁に
ベージュの塗装を施した現代的な工法の物が多いのですが、
タオス・プエブロのアドービ建造物は、昔ながらの日干し煉瓦を今も
使用しています。それ故に修復が大変だそうです。

タオスの町は、映画「イージー・ライダー」の舞台、ロケ地となった一つであり、主演の一人だった故デニス・ホッパーの墓も郊外にあります。

私たちも、代わらず続けていく事・代わって続けていく事を日々考えながら過ごしていきたいと思います。

サンタフェをスタートにチマヨ・タオスまで部分的ではございますがご紹介してきました。
私自身、ニューメキシコに行った事がなかったのですが、今回小林様に直接お話しを伺う事によってリアルな雰囲気を感じる事が出来ました。
皆様に、少しでも良さが伝わる事を願っています。
気軽に海外に行けるような状況ではないですが、このブログをご覧頂き少しでも楽しんで頂けたのなら幸いです。

USONIAN WESTERN STOREのスタートはいよいよ来週11/23(水)。祝日の予定に、ぜひともベアトラック、そしてユーソニアングッズストアがおすすめするウェスタンを!

髙梨

2022/11/21

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